自分の体

自分の「からだ」は自分であって、自分でない。自分でコントロールできない。私の「からだ」は調和が崩れてしまっていて、しかもそれに気づいていなかった。老婆のように、疲れた表情。笑っても笑った顔にならなかった(再就職支援会社のスマイル講座にでてしまった!くらい)。

そもそも自分の体って自分でなんかコントロールなんかできていない、ものすごくよくできた複雑なシステムが私の意識に関係なく実に緻密に動いている。最近調べ始めた胸腺、もう少し勉強してからでないと分かりやすく的確にまとめられないのですが、体内に侵入してきた異物を退治する細胞を成熟させたり、不要になった細胞を食べたり、なんだか、本当に面白い仕事をしている。また、この異物に対しての攻撃細胞を作るべしとか、司令塔的な役割も、私の大脳の関与なしにきちんとやっていた。では、なぜ、筋肉を動かすために必要な自己物質に対して、つくちゃうの?そもそもが、私の意識でコントロールしていなかったものでも、有機物としてある調和を作り出していたものが、また私の意志に反して、勝手なことを始めている。

このへんになってしまった私の体に、ステロイドが入る。結果、目が開くようになり、笑顔も元にもどり、腕もほんの少し動きがよくなった。階段を軽快に登ることができる。ただ、ステロイドが自分の体の中に沈殿し、免疫全体が低下する。そして、手術で私の体の中から胸腺を取り出された。私の免疫システムは、この後どのようになるのだろうか?

西洋医学は、「からだ」をオーガナイズされた有機的なあたたかな機関でなく、それぞれが一つの物体のような「からだ」とされてしまうのではないかという不安。しかしいったんここまで崩れてしまったものは、ともかく力ずくでも直さないとしょうがない。あるいは、そうやって生きながらえさせてもらうことができるようになったのだから、と感謝すべきなのかもしれない。

目の輝きも衰え、髪や肌の艶が失われつつあり、もう「おばさん」は避けられない、というところに、病気。病気で「おばさん」から「おばあさん」になってしまった。ステロイドと手術で、どうにかおばさんまでは戻ったなー。病気で「おばあさん」になってしまったときの自分も、薬で「おばさん」で持ちこたえている自分も、自分。アンチエージングも病気治療も根っこは同じかもしれないなー、と思いつつ、まだ思考が哲学に達していないことを反省。