3月11日 あれから5年

2016年03月11日 23:06

一生のうち何日か、この日は何をしていたのか鮮明に覚えている日があると思います。

1995年1月17日 自宅は神戸にあったのですが、フィリピンに住んでいました。神戸で何かあったよー、と主人の友人がラジオ片手に家にきてくれたのですが、ダンナは日本から遊びにきていた妹と出かけていました。そのあと、日本のテレビを見れるホテルに泊まって自宅の周りを心配していました。倒壊している高速道路などにびっくりでした。

2011年3月11日 26階にある会社のオフィスで仕事をしていました。お昼を遅く食べて、長い揺れでよってしまい、もどしてしまいました。娘が心配で、部下を放置して(とっても30、40歳代の男子4人)、自宅に歩いて帰りました(娘は暫く子供帰りして一緒に寝ました)。そしてテレビで放映される、衝撃の津波の映像。

震災以来、3回、東北を旅行しました。風評被害で十和田湖のホテルがつぶれていたり、奇跡の一本松の周りの巨大な工事をみたり、今はまったく静かな海をみたり、生まれて始めてボランティアにも参加しました。

ご家族を亡くされた人がご冥福を祈られている映像がテレビで放映されています。記憶は生きています。

娘が生まれた1995年7月のあの日も忘れられません。夜中に病院にいくときに、父が酔っぱらっていて、主人が東京から九州の実家に駆けつけてくれましたのを妹ダンナと間違えて名前を呼んでいましたっけ。